苦しみの正体は何かしら?
折に触れ、甦る一節があります。「人生、生きていれば第一の矢を受ける事は避けられないでしょう。けれども、その時に大切なのは第二の矢を受けない事です」
第一の矢とは、外から飛んで来て刺さる衝撃、傷つく言葉や出来事等です。第二の矢とは、第一の矢に反応して自分自身が発する矢で、その人固有の受け止め方、考えです。同じ出来事でも、反応の仕方、受け止め方は十人十色で、痛みの度合いも長さも人それぞれです。そして、第一の矢の痛みや刺さっていた時間は一瞬の場合が多いのにも関らず、第二の矢の痛みは、その後も自分の中でリフレインされて長く苦しみ続ける場合があります。
物心ついて以来、一体何本の矢を受けた事でしょう。中には抜けたものもあるでしょうが、何十年も拘束されている古い矢、太い矢、細い矢、忘れた矢等、今でも何本も刺さっている方がいらっしゃるのではと思います。私もその一人です。それでも、今の私は、何とか第二の矢を抜き、傷を癒す事、開放された時の爽快感も知っています。いずれはもっと早く抜けるようになり、やがては第二の矢を受けない自分になりたいものだと希望を持ちつつ、刺さっては抜き、刺さっては抜きを繰り返しています。
これからも、第二の矢の傷みと開放された感覚を知る者として、第二の矢の苦しみから解放されますようにという思いを大切にしながら、人々の言葉と、声なき声に耳を傾けるよう心掛けて行こうと思っています。
一言コメント
人は、人に傷つけられ、人に癒される。また、自分自身を傷つけ、自分自身を癒せる存在でもあるでしょう。
2010.6.2
産業カウンセラー 佐藤 信代
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